こんにちは。
墨田区鐘ヶ淵
鐘ヶ淵駅西口より徒歩3分の歯医者「にしざわ歯科医院」
院長 西澤克哉です。
先日、時代劇の映画を見ていたら登場人物の女性の歯が黒くて、ずーっと目が釘付けになってしまいました。
すごく興味が湧いてしまいました。
何で昔の人は歯を黒くしたんでしょうか?
そこで、今回は、時代劇などでよく見かける「お歯黒」についてお伝えしたいと思います。
「お歯黒」とはなんでしょう?
「お歯黒」は女性の身だしなみとして盛んに行われるようになったと言われています。
日本では古代から存在したとされ、主に民間では明治時代末期まで。
東北など一部地域では昭和初期まで、特に既婚女性の風習として見られたそうです。
平安時代の貴族の女性は17、18歳でお歯黒をすることで成人したことを表したようです。
一方、男性のお歯黒については、ファッションで行ったという説や、武士が一生涯のうちに主君は一人しか持たないという、忠誠の証に行っていたという説があります。
なかでも階級の高い武士のみがこれを行ったと言われています。
江戸時代になると女性は既婚の証として「お歯黒」をするようになりました。
庶民の女性は、結婚すると“夫に貞節を尽くす”ため、眉を剃って歯を黒く染めました。
お歯黒を塗る時、液を温めると臭いにおいがするため、女性は朝夫が起きる前に塗ったそうです。女性が旅行に行く際は荷物を身軽にするため、インスタントのお歯黒の粉を持参した様です。
幕末から明治初期に来日した外国人は、お歯黒を塗った既婚女性を見て女性差別と明治政府を批判しました。
明治元年と3年に華族を対象にお歯黒禁止令が出たのですが、伝統的な風習は改まりませんでした。
明治6年3月、明治天皇と皇后は、率先して眉剃りとお歯黒を止められてから、庶民のお歯黒も徐々に廃れていきました。
「お歯黒」は虫歯予防?
当時「お歯黒」はまた、「ムシ歯予防」の効果も求められていたようです。
「お歯黒」は京都の公家の習慣が基となっており、公家の人は男性であっても白粉をぬり、「お歯黒」をしていたそうです。
また「お歯黒」を好んで使用していた大名の中に「 今川義元 」がいます。
桶狭間で織田信長に討たれた話は有名ですが、義元は京の文化に強い関心があり、京文化を多く取り入れました。
そこで当時京で流行していた「お歯黒」を義元も塗っていたそうです。
この様に当時の日本文化では流行的要素もありますが、歯を守るという予防的な意味もあった様です。
というのも、お歯黒をつける前には歯の表面についている汚れを取らなければお歯黒が上手く塗れないそうです。
そのため、これが自然とムシ歯予防の効果になったと言われています。
また、お歯黒はタンニンを多く含む粉を混ぜて使っていました。
主成分は酢酸第一鉄でそれがタンニン酸と結合して黒くなり、歯を被膜することによって虫歯予防や、成分がエナメル質に浸透することにより浸食に強くなるなどの実用的効果もあったとされています。
また、タンニンの収斂作用により、口の粘膜のタンパク質を変性させ、組織や血管を収縮させたり、炎症を抑える効果があります。その効果により歯茎の状態が良くなるので歯周病予防にもなるのです。
お歯黒を日常的に使用していた最後の人(?)と言われた96歳のご婦人にはムシ歯がほとんどなかったそうです。
どうです、「お歯黒」。
ご興味があれば一度やってみたらいかがですか?
でも、やっぱり今の時代は白い歯の方がおしゃれですよね〜!!